再掲 自然を消費するということ

時々再アップしています。心無い行為を見かけるたびに悲しい思いをしています。心当たりのある方に気付きを促すものです。


書きにくい内容を頑張って書きます。地方の釣り場を愛する者からにじみ出る苦悩を著してみようと思い書かせてもらっています。どうぞお怒りにならず、ご一読頂けますようにお願いいたします。

釣り場を公開することに関すること。
特に、小規模な釣り場や漁協がないなどの管理が行き届かない釣り場に関する記述には最新の注意を払って欲しいのです。
公開した側が叩かれ、地元の川が壊滅となると、関係者が全員アンハッピーで救いがありません。
また、釣り場が死にそうだ!と広報することが逆に人の流入を招いたことがありました。
文字通り、川が本当に死んでしまうという事態が起こったことがあり、心を痛めている釣り人も居るということをお伝えしておきたいと思います。
重ねて申しますが、漁協がない川やその地域は特に、そっとしておいてあげて欲しいです。
場所を公開する行為が”お仕事”である場合は、更に格段の心配りが必要だと思います。

絶滅に瀕している在来の土着の魚を、熱心に紹介している著作を見ることがあります。
探しに来るんですよ、それを読んだ人が・・・で魚は居なくなる。川が死ぬということですね。
死ぬとは、在来の魚が居なくなるということも含みます。
魚が減ると放流圧を上げます。これが遺伝的汚染を生むことはお判りになると思いますが、事実上その川の在来魚は死に絶えたと言える事態になります。
学術的な研究対象として著すことと、興味を引く記事として著すのでは、見る人の受け取り方が全く違います。見つけて釣って、どうだ!という記事を辛い気持ちで見ています。
詳細な場所が書いていなくても、釣り人はやってきます。心ある釣り人だけが来ると誰が言えましょう。

ガイド業に関すること。
自然を消費して利益を得ているという意味で、漁師さんと同じであると考えます。
お金は儲かりますが、色々なものを消費しっぱなしではありませんか?
そこで、地元への貢献を考えて活動してほしいと思います。
地域に、なんらかの貢献をしてゆくという考え方は、極端とは言えないと思います。
放流事業や、都市部からの人の流入などへの協力も貢献の一つです。
安易に釣り場の写真を公開することも避けて欲しい。
川は皆のものですが、格別の配慮をお願いしたい所です。

ルールや決めごとがないというのは、ただの言い訳です。
地元の人に受け入れられないと、長く続けることができないと思います。

すでに地元への貢献活動をなさっているフッシングガイドさんへ、強いリスペクトを覚えます。
釣り場保全、環境保全の記事に熱心な執筆、編集者の方へも、エールを送りたいと思います。

やれている人がいるのですから、やれないということはありません。
宜しければ、明日からでも始めてみませんか?

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